占星学 ユキコ・ハーウッド[Yukiko Harwood] 星の架け橋

占星学 ユキコ・ハーウッド オフィシャルWebサイト 星の架け橋

TOURS

ユキコ・ハーウッド書き下ろし、心理占星学エッセイ「惑星よもやま話」
ウエブ・マガジン「エニシ」に連載中。

http://www.yenishi.com

「エニシ」は本サイトのリンク・ページでおなじみの竹澤真理さんが発行されているウエブ・マガジン。世の中はもので溢れているのに、人の心は満たされない。人とものとのつながりを考え、人と人とのつながりを掘り起こす。こういったことを趣旨にメッセージを発信し続ける真理さん。
連載中の「惑星よもやま話」もぜひご覧ください。

第22話 蠍座の冥王星:ハンプトン・コートとヘンリー8世

 ロンドンの西南部にハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)という壮麗かつ広大な宮殿があります。庭園では毎年フラワー・ショーが開催されます。
 16世紀の初めに建てられ、18世紀初頭にかけて増築され、およそ200年に渡り英国歴代王の宮殿であったそうですが、今回はクリスおじさん(夫)の解説に基づいて、イギリス史にその名をとどろかせるヘンリー8世(1491-1547)と、蠍座の支配星である冥王星ついて考えてみましょう。

ハンプトン・コート・パレス 正面入り口前

ハンプトン・コート・パレス 正面入り口前

ハンプトン・コート・パレス 正面入り口前

ハンプトン・コート・パレス 正面入り口前

 私個人の感想ですが、日本で宮本武蔵や豊臣秀吉が何度も繰り返しテレビドラマ化されるのと同じように、イギリスの歴史ドラマでは、ヘンリー8世がよくよく取り上げられるようです。

ヘンリー8世の肖像画

ヘンリー8世の肖像画

 このヘンリー8世ですが驚くなかれ、6人のお妃がいたそうですね。1番目がキャサリン・オブ・アラゴン。(Catharine of Aragon) 
 ところがヘンリー8世、アン・ブリン(Anne Bolen)という女性に恋をして、離婚したいが為に、離婚を禁ずるローマ・カソリック教会を脱退して、イギリス国教会を打ち立てます。そして彼女と結婚するのですが、すぐに愛想が尽きて、嘘かホントか知りませんが不倫をとがめに、処刑してしまいます。
 このあたりのいきさつは「第11話 ルイスという町」に書きましたので、そちらも合わせてご覧ください。

 そして3番目の妻がジェーン・シーモア。(Jean Seymour) ところが残念ながら彼女は難産が原因で亡くなります。それにしてもジェーン・シーモアはよくヘンリー8世と結婚しましたね。私なら、平気で妻の首を切り落とすような人とは恐ろしくて一緒になれません。

 それから4人目がドイツからやって来たアン・オブ・クリーブス。(Anne of Cleves)
クリスおじさんの解説によりますと、当時ドイツの高名な画家に描かせた彼女の肖像画があまりに美しく、一目で気に入ったヘンリー8世はお妃にとイギリスに呼び寄せます。ところが現れたのは、絵とは似ても似つかぬオカチメンコ。すっかり腹を立てたヘンリー8世はサッサと離婚して、英南岸サセックス州のルイス(Lewes)に家をあてがって、お払い箱にしてしまいます。首をはねられないだけよかったです。

 5番目が見合い結婚と言いますか、政略結婚と言いますか、連れてこられたのが当時16才のキャサリン・ハワード。(Catherine Howard)これもヘンリー8世のおメガネにはかなわず、不倫のとがめで処刑されます。
 その後、叫び声をあげながらハンプトン・コート・パレスの廊下を駆け抜けるキャサリンの亡霊を見た人が後を絶たない、いわくつきの宮殿でもあります。

館内に飾られる16世紀当時の装束

 6人目のキャサリン・パール。(Catherine Parr)これが最後です。幸いにもこちらは面倒なことになる前に、年老いたヘンリー8世の方が先に亡くなり、彼女は幸せに再婚したそうです。

中庭

中庭

中庭

中庭

 どこまで真実でどこから尾ひれ背びれか、真相は神のみぞ知るところですが、以上がクリスおじさんの話と、ハンプトン・コート・パレス館内オーデイオ・ガイドと、テレビ歴史番組をツギハギにしたパッチワーク状態の私の理解です。

 この絢爛豪華な金の装飾をほどこした宮殿を見る限り、「百獣の王者獅子の輝き。獅子座の支配星、太陽」と言いたいところですが、その側面はまたいつかお話することにして、今回はヘンリー8世のあくなき執念とも言えるパワー志向に焦点を当てて、蠍座の支配星である冥王星について考えてみましょう。
 蠍座の支配星(その星座を治める神様)は、冥界の神ハデスということは第11話でも、お話しました。冥界ですから死と再生を司る神様です。

 このハデスですが、地上に現れたのは生涯たった二回だけ。まずは畑で花をつむペルセポネを誘拐強奪した時。そしてもう一回は、自らの傷を癒すため地上に姿を現した時。
 つまりハデスに象徴される「死と甦り」は、お茶の間のホームドラマには登場しないシーンなのです。人が冥王星的クライシスに遭遇するのは、「悲恋」や「大病、大事故」などの宿命的とも言えるできごとに見舞われた時。ですから一生ハデスと遭遇せずに人生を終える人もいると思います。

 恋愛、事故、いずれも九死に一生を得るような体験をかいくぐり、人は再生への道を歩み始めますので、「底力」も冥王星の大きなキーワードになります。占星学の本を見ますと「蠍座や、ホロスコープ(生まれた瞬間の天体の配置図)で冥王星が顕著な位置にある人は、カリスマ的なパワーを持つ。」などと書かれていますが、達人が持ってこそのもの。ガンジーやキング牧師のように偉人伝に名を連ねるような魂の持ち主ですね。
 残念ながら、凡人がホロスコープに顕著な冥王星の配置を持つと、家庭内暴力ぐらいでしか表現されないことが多いようです。つまりね、冥王星が表す膨大な力に正しくチューニングできる人が非常に少ないと、私は感じるわけです。

 それでもホロスコープで冥王星が際立っている人は少なからずいますから、ガンジーのように人智を超えた力に純粋に仕えることができなければ、身近な人や出来事を通して冥王星のマイナス面と感応することになります。そして闇の帝王に振り回されているように感じる場合と、自分が暴君を演じてしまう場合と、二通りあります。

 確かに。ヘンリー8世は歴史上、名をとどろかせた暴君であり、病んでいるように思えるのです、私には。天の配剤とも言える神がかり的なパワーに、私的な感情、つまり執念や欲や恨みや疑いが混在しますと、ミイラ取りがミイラになるが如くにパワー志向に走り、周りの人も巻き込んで自分が感応したパワーに乗っ取られてしまします。つまり基本的な善悪判断のスイッチがオフ状態になるわけです。

 ヘンリー8世のように極端な例はさておいて、家系を辿るとこの冥王星的なパワーの犠牲になっている人が少なからずいるように見受けます。
 冥界の神様ですからね。ハデスが表す「力の問題」は根深いものがあります。例えばですね。一代であこぎな財を成した曾祖父。その娘の婿養子にやってきた力のない祖父。そして資産をすっかり食いつぶしてしまって、なおかつ暴言を吐く父。そのおかげですっかり精神を病んでしまった母。そのまた介護で40過ぎても自分の人生を始められない娘。このように、冥王星の負の連鎖はなかなか断ち切れないものがあるようです。

 と、ここまで書くとなんだか気分が悪くなって頭がクラクラしてきました。
しかし頑張ってここからが本題です。先ほど「凡人が持つと家庭内暴力ぐらいでしか表現されないことが多い。」と書きましたが、冥王星に託される超越的な力、他に表現方法はないのでしょうか。あると思いますね、私は。

 一番大切なのは、この「力の問題」を自分一個人の宿命的な出来事として恨まず、社会的に水面下で蔓延している現象であると、普遍的な目で理解するように心がけること。そしてそれを活かし表現する方法を見つけること。

 何も特別なことでなく、自分にできることでいいのです。ただしハデスは冥界の神様ですから「浅くて軽いタッチ」は嫌いです。何事もやるとなったら精魂込めて、です。
 例えば、命のパイプラインで務める。介護問題に取り組む。修験道で修業をする。自分の思いを陶芸や写真に込める。詩や小説を書いてみる。劇団に入る。役者は芝居の中で殺人犯でもストーカーでもなりきって演じることができますから。するとそこにホメオパシー効果が生れますね。少量の毒を薄めて飲むと、免疫力がつくという効果です。そしてそうそう簡単に毒気に当てられなくなります。

 その際に。超越的パワーとミソもクソも一緒になってしまった個人の執念や疑いを、ていねいに濾過していく作業が大切です。はらわたが煮えくり返る怒りに取りつかれたまま、修験道に臨むなんてできませんね。
 この純化する作業を怠りますと、陰惨なイジメやフェイスブックの悪口大会で終わってしまいます。そしてさらなる被害者を増やします。

 丹念に濾過されて、最後の残るものは真の勇気と深い洞察力。これが冥王星に込められた「死から再生へ向かう真の力」だと思います。この境地に至るには何度も生まれ変わってこなくてはいけないのかもしれません。ロンドンの心理占星学専門校に通っていた頃、先生が「冥王星は、暗闇をくぐり抜けた後の揺るがない力、つまり天国に至る鍵を握っている。」と話してくれたことを思い出します。

 ところで、パンプトン・コート・パレス。ロンドンにお見えの際は、ぜひ丸一日、タップリ時間をとって館内や庭園を見学なさってください。フラワー・ショーは毎年7月に開催されます。

 またお会いしましょう。

 ※今回の画像は全てユキコ・ハーウッド撮影によるものです。