占星学 ユキコ・ハーウッド[Yukiko Harwood] 星の架け橋

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TOURS 英国紀行

第14話 イギリス動物事情:蟹座の月

 とにもかくにもイギリス人は動物が好きだ。犬猫に限らず、リス、キツネ、ハリネズミ、牛、馬、至る所に動物が見られます。

よく見かける年老いた犬。

よく見かける年老いた犬。

 以前、ロンドンの英語学校に通っていた頃の話。中東からの留学生が「イギリス人はボク達留学生や移民のことは放ったらかして、犬猫の世話ばかりしてる。」と休み時間にボヤいていました。彼はビザの再申請に時間がかかるのにシビレをきらしていたわけです。入国管理も忙しいゆえ時間がかかるのは当然ながら、まあそう言いたくなる気持ちもわからないでもなし。

犬の親子。

犬の親子。

 そう言えば、イギリスでは犬は人間同様、バス電車地下鉄に乗れるのですね。
渡英して間もないある日。寒い、寒い2月の朝でした。いつものように地下鉄に乗って席に座り、ふと前を見ると黒い犬が黒いTシャツを着て立っている。目が合ったとたん、口が耳まで裂けるほどニターッと笑ってヨダレをたらしながら私の膝の上に上ろうとする。私も犬猫には目がないので大歓迎なのですが、這い上がろうとするたびにツルンツルンと滑って、ヨダレを飛ばしながら後ろ足でしきりに隣の席のビジネスマンの脛を蹴ります。

観光客を乗せて馬車を引く馬。(ハンプトン・コート・パレスにて)

観光客を乗せて馬車を引く馬。
(ハンプトン・コート・パレスにて)

 忘れもしない、美青年の飼い主がニッコリ微笑み小声で “James, calm down.” (ジェームス、落ち着いて。)と話しかけましたら、犬は「チッ」と舌打ちをしてうらめしそうに横目で「あんなん言うてるわ。せっかく一緒に遊ぼ思てたのになあ、オバハン。」と確かに私に言いました。この犬、ジェームス君というのですね。私も一緒に遊びたかったのですが、朝の通勤地下鉄で傍迷惑な話。なるべく視線を合わせないようにして本を読むふりをしていました。ジェームス君も時折、横目でこちらを見ます。

町中をウロウロしているリス。

町中をウロウロしているリス。

 そうこうしている内に飼い主のお兄さんの隣の席が空くとジェームス君はその空席が気になるようで、しきりに周りの人を見上げて目で訴えかける。「ちょっとオッチャン、席あいてんで。座れへんの?」「兄ちゃん、座りや。座ったらええやん。」といった具合です。
飼い主のお兄さんが「誰も座らないよ。座らせてもらったら?」と言わんばかりにシートを軽くポンポン叩いて目くばせしたらジェームス君、「そうでっか。すんまへんな、すんまへんな。ほな、お言葉に甘えて座らせてもらいまっさ。」と言いながら座席の上によじのぼり「ああ、やっぱりシートの上は温うてフカフカしてよろしな。」と目を細めて眠り込んでしまいました。

ワタリガラス。普通のカラスより一回り大きいのが特徴。

ワタリガラス。
普通のカラスより一回り大きいのが特徴。

 さらに電車が進むこと数十分。ある駅に着いたとたん、ジェームス君とお兄さんは以心伝心、バネのように飛び上がり二人揃ってホームに降り立つなり同時に首を右、左、右に振って周囲の安全確認をしてから歩調を合わせてタッタッタと階段を上り、私の視界から消えていきました。冬の朝の心温まる一コマです。

ブライトンの町中を闊歩するカモメ。

ブライトンの町中を闊歩するカモメ。

 クリスおじさん(夫)と私が住むフラット(日本でいうところのアパート、マンション)の隣の家にはオベロンという名の長毛種の猫がいます。もっぱらこのフラットの裏庭を自分のテリトリーにして日がな一日退屈を持て余している、そんな猫です。

隣の家の猫、オベロン。オベロンはシェークスピアの“真夏の夜の夢”に登場する

隣の家の猫、オベロン。
オベロンはシェークスピアの“真夏の夜の夢”に登場する
妖精の王様の名前。

 このオベロンにキャットフードをふるまいながら世間話をするのが、クリスおじさんのささやかな楽しみ。窓からオベロンを見かけると「ちょっといろいろ聞いてくる。」と言って裏庭に出て行きます。「まあ、猫をつかまえて何をお聞きになることがありますの。」と尋ねますと「今日は13日の金曜日だ。縁起が悪いかどうかオベロンに聞いてみる。」といったあんばいです。

裏庭で退屈を持て余すオベロン。

裏庭で退屈を持て余すオベロン。

 クリスおじさんは犬猫に限らず、ハチからクモに至るまで丁重に扱い、「窓を磨く時にクモの巣をこわすな。クモの大事な家なのだから。」と私に向かって申します。しかし窓に張り付いたクモの巣をこわさずにガラス磨きをするのは物理的に不可能。私は遠慮なしに撤去させてもらいます。しかし驚くなかれ。クモは本当に働き者です。わずか一晩で直径30センチの巣を同じ場所に再建しますね。必ず東側の窓に作ります。朝日に輝く放射線状の模様は、なかなかきれいなものですよ。

池のほとりで遊ぶ鳥の一家。

池のほとりで遊ぶ鳥の一家。

 森の中を歩いていても、アニマル・レスキュー(ANIMAL RESCUE, 動物救援)と書かれた車を時折見かけますね。森の中で傷ついた鹿、キツネ、ハリネズミなどを保護手当して回復したらまた森に放す。動物愛護団体の活動の一環だそうです。

牧草地帯に見られる放牧の羊。

牧草地帯に見られる放牧の羊。

 またこの国では、金持ちの老人が亡くなると「動物愛護団体にドカンと多額の寄付金を残す。」と記されていることが多い旨、動物の暮らしぶりが潤っているのだ、とクリスおじさんの話。
 動物のことについて書けと言われるとキリがないので、いい加減でこれぐらいにしておきます。

蝶

 ところで蟹座は母性愛の星座。第9話「マザー・イングランドの食文化」でもお話したように支配星は月。そして感情の働きを表す「水」の星座(蟹、蠍、魚座)の一つです。
 この蟹座にとって「潤いのある毎日」は大きなポイント。暮らしから潤いがなくなるとカサカサしてくる。肌と同じです。無味乾燥とよく言いますでしょう。心の潤いがなくなった、つまり情緒や安らぎが感じられない暮らしぶりのことですね。

 そんなことから「蟹座の人は保母さんや専業主婦に向く。」なんて占星学の本には書かれていますが、実際には蟹座の皆が皆、家事子供好きというわけではない。
 この「育児」というキーワード、もう少し掘り下げて考えますと、愛情や慈しみの思いが自然に湧き出すような心の泉を枯渇させないこと、と私はとらえますね。そして「育てる」のは何も自分の子供でなくてもよい。そこに感情の水脈が通えば、対象は動物でも植物でも、手塩にかけた料理でも何でもよいわけです。食べてもらう相手に愛情を請求するのではない。料理という行為に愛情を注ぎこむのです。すると食べた相手にその愛情が伝わる。

 また蟹座は、道理に基づいて理路整然と訴えるのはどちらかと言うと苦手。客観性、論理性は思考を司る「風」の星座(双子、天秤、水瓶座)の働きであって、思考と感情の二つは同時には働かないと心理占星学では言われます。
 つまり客観的に出来事を観察している時は「くやしい。憎たらしい。」といった感情機能はお昼寝中。逆に「かわいそう。悲しい。」とさめざめ泣く時は、理論的な思考回路は停止状態というわけです。

 で、蟹座としてはやっぱり得意な感情機能から発達させるのが良いように私は思いますね。ここが健全に育たないと何に対しても自信が持てず、その裏返しで肩ひじ張って生きなくてはならない。かたくなになります、蟹の甲羅のように。

 言葉にならない人の心の内を思い図る。あるいは口をきけないもの、つまり幼児や動物、植物の状態を察する。そして心を通わせる。いずれも大切な感情の働きです。
但し、動物でも何でも可愛いからと心配のあまり、過剰な防衛や保護に出るのは未熟な蟹座の表れ方。月には「育む」と同時に「呑み込む」という本能もあります。

 人の子を取っては食い、取っては食いした鬼子母神のお話。お釈迦様は彼女をさとすため、彼女の末息子を隠します。子を失う苦しみを味わった彼女は、その時から開眼して仏教に帰依。以来、天女のような姿で我が子を左手に抱え、右手に多産と繁栄のシンボル、ザクロの実を持つ姿で描かれ、子供と安産の守り神としてまつられています。これも私には蟹座の支配星、月の性質を物語るエピソードに思えます。

鬼子母神

鬼子母神

 いずれにしてもメールや印刷物の文字には上がってこない行間の呼吸、水面下の脈々とした感情の流れをくみ取ることが蟹座にとって大きなテーマ。そして感情の泉が外に向かって流れ出すパイプをつなぐこと、つまり表現方法を見つけることが課題になります。保母さんや家庭内の育児に限らず、動物や草花を育てる、料理や絵画といった自分の情緒の産物を生み出す。蟹座の潤いのエッセンスになりますね。
 客観性、論理性を育てるのはその先にくる取組み。そのようにして人は終わりのない魂の成長過程としてこの人生を送るように思います。

 ところでオベロン。先ごろ、飼い主一家と共にトルコに引っ越して行って、クリスおじさんは失意の日々。私は中東の音楽を聞きながら体をくねらせて踊っているオベロンを想像して一人でニヤニヤしています。

 ではまたお会いしましょう。