第10話 ブライトンその光と影:魚座の海王星
以前、英国紀行第1話でお話した、ここイギリス南岸のブライトンは総じて気楽で陽気な街だ、というのが私の印象です。海辺にはリゾートホテルが立ち並び、カモメが飛び交い、レストランの数は300軒あまり。ブテイックも目白押しで、観光客や留学生で年中にぎわっている。と、これは表の顔です。
街の目抜き通り、つまり海岸一帯から山手に歩くこと20分あまり。不況のしわ寄せで空き店舗が並び、空っ風が吹くエリアに突入。ここには、もう一つのブライトンの顔があるように思います。
先日、クリスおじさん(私の夫)とスーパーで買い物していますと、背が高くハンサム、ちょっとオシャレでミュージシャン風の青年がニコニコと話しかけてくる。
「ハアーイ、クリス!!どないしてんねん!しばらくジムに来てへんやないか。」
(ちなみに、クリスおじさんは街中のジムに通っています。)そして私に向かって
「ジムに来るように言うたってえ。淋しいわ。ジムさぼってたらお腹出てくんでえー。待ってるでえー!」
もっとも英語で大阪弁話すわけはないのですが、日本語に訳すと、まあこんなかんじのくだけた口調です。
ニコニコ嬉しそうに相槌を打っていたクリスおじさん。この青年が立ち去るなり、にわかに渋い表情に変わり一言。「会いたくなかった。」
理由を聞きますと、彼は刑務所から仮出所してジムに通って来ていると。クリスおじさんが初めてこの男性をジムで見かけた日のこと。彼の足首のアンクレット(刑務所から仮出所中の人が監察保護のためにはめる特殊なもの。刑務所からレーダーでその人物の所在地が一目瞭然につかめるそうなんです。へえ、知らなかった。そんなものがあるなんて。)に思わずギョッとして視線をそらそうとしたとたん、目が合ってしまって「もう僕ワルサばっかりしてるから、こういうことになるやろ。名前なんて言うの?」と親しげに話しかけてきて以来、ジムで顔を合わす度に他愛ないオシャベリをするそうです。
「まあ!なんで刑務所に入ってるの?」と聞きましたら、「関わりたくないからそういう話には触れない。しかし何でも日本人の元妻と子供がいるそうだ。」という答えが返ってきました。
もう一つ、小話。先日、近所のお兄さんが床屋に行きましたら、「しばらく待ってくれ。」と言われていすに腰掛けて待っていますと、店主が大声で何やら客人と話を始めたというのです。
で、耳に入ってくる内容は麻薬密売の交渉。
このお兄さん、時間がなく急いでいたそうですが、話が話なので口をはさむことがはばかられ、かわいそうに1時間以上も待ちぼうけを食った、と。
「僕が警察に通報したらどうなる、とは考えなかったのかなあ。」とボヤいていましたが、はい。そういうことは考えないのがブライトンなのです、私が見受ける限り。
まだまだあります、こういう小話は。数か月前、空き店舗が並ぶ、うらぶれた商店街を歩いていましたら、元電気屋の前に数台のパトカーと大勢の警官。TV実況中継車に黒山の人だかり。「何があったの?」と聞きましたら「ここに住みつくスクオッター達を警察が撤去してるの。」と言うではありませんか。
この“スクオッター”(SQUATTER)という言葉、日本では耳にしませんが、空き店舗や空き家に侵入して無料無断で住みつく人達のことを言います。どういう人が住むかは知るよしもありませんが、本当に気の毒なホームレスの人達、ばかりではなくドラッグ中毒者、家出した若者、その顔ぶれは様々であろうと私なりに想像してみます。
バリケードが張られた元電気屋の玄関口を、警官隊が大きな丸太棒でドオーーンドオーンと打ち破ろうとしている。屋根の上では若い男の子達が黒マントに身を包み、「ポリ公、帰れーー!」と、あじりながら踊っている。何も屋根の上で踊らなくてもいいじゃないか、あぶないじゃないか、と思いましたが、近所の犬までが興奮して店の前で飛び跳ねて踊り狂っている。その様子を真剣な顔つきでビデオカメラに収める人。ヤジを飛ばす人。ゆっくり見ていたかったのですが急ぎの用でその場を去り、郵便局の窓口で並んでいると、通りから怒涛のような歓声と拍手喝采。どうやら警官隊が扉を打ち破ったようです。岸和田だんじり祭りさながらの活気と熱気でした。
そして数日後、その店の前を通るとこうこうと明かりが漏れ、内側から窓一面の張り紙。「ホームレスにも住む権利はある!我々の権利を守れ!」警官隊の出動むなしく、どうやら皆で元のさやにおさまったようです。
こういう話を家に帰ってしますと、クリスおじさんは「この国は地に落ちた。」と烈火の如く怒り出すので、なるべく触れないようにしています。
ところで、私がなぜ今回の話に「魚座の海王星」をくっつけるかと言いますと、魚座の支配星はギリシア神話の海の神ポセイドン。海の水がヒタヒタと岩を侵食するが如くに、ものごとの境界線をなし崩しにする性質を象徴しています。そもそも私達が言う「秩序、境界、ケジメ」というのは地上の世界の話であって、海の中では通用しないんですね。通常の思考回路は機能不全になります。
第1話では「水瓶座の天王星:天空の神ウラノス」というテーマでブライトンの街を取り上げましたが、ポセイドンは、ウラノスのように電光石火で因習や権威を叩きこわすようなことはしません。気がつくといつの間にか水浸しになって岩をも溶解している、そんなかんじです。
魚座は12星座最後の星座。「イエス・キリストの星座」とも言われます。(この説明はあまりに長くなるのでまたいつか。)この世での魂の旅を終えて「神の家に還っていく」最後のステージ。社会での位置づけ名誉といったもの、棺桶には持ち込めませんから、無意味無価値になります。
ちなみに「魚座の人は金運社会運に恵まれない。」なんて書いてある本もありますが、恵まれないのではなく、仮に大金持ちであっても魚座の人にとって立身出世は人生目標にはならない。というのが私の思うところ。
そして海には「清濁合わせ呑む」性質があります。海の底に沈む海賊船を思い浮かべますと、白骨死体、金銀杯、ドクロに深海魚、光り輝く宝石の山。まさに玉石混合で人知れず眠っている。それに対して海は「お前は醜い卑しい者だから出ていけ。」とは言いません。
こういった特徴から考えられる魚座のテーマは、全ての者を分け隔てしない慈悲の心。「善人が救われるのだから、悪人が救われるのはなおのこと。」というのは、まさにポセイドンの視点で眺めた世界観と言えるでしょう。しかしつつがなく社会生活を送っている一般市民がこの境地に至ることは稀。魚座の性質を象徴する場所として、世間の経済活動とは無縁の「教会、神社仏閣、病院、刑務所」が挙げられるのはこのためです。
さらに海は、サイキの奥底から湧き上がるインスピレーション、霊感の宝庫。ゆえに海王星の影響を強く受ける人(ホロスコープの中で海王星が際立った位置にある人。)はイマジネーション豊かで芸術方面に向くとも言われます。
確かに。ポセイドンの目から見ると、この競争社会はあまりに粗暴。そもそも境界線がないのですから、他人の苦しみと自分の苦しみが融合して抱えきれなくなり、アル中、ドラッグ中毒に陥ることもある、とものの本には書かれています。
善悪、人の物と自分の物の境も薄いわけですから、詐欺横領、裏切り失望、不条理。これも海王星の副産物。
しかしものは考えよう。この地上で「チリも積もれば山となる。」と信じてレンガを一つ一つ積み上げる生き方は、いいようで案外もろいもの。津波一つでたちどころに呑まれてしまいます。宇宙には「チリも積もればアブクとなる。」こともある。その不条理を受け入れることで、逆に人の心は潤いを取り戻すように思いますね。
イギリス国内で指折り数え失業率が高いブライトン。麻薬密売で名高い街でもあります。
しかし新聞アンケートによると、「自分の人生幸せ。」という回答率が最も高かった(70%以上)のも、ここブライトンを中心とするサセックス州、という不思議ばなし。
今日もバスの中では、観光客とホームレスと赤ちゃんと若い母親と犬とドラッグ中毒と商店街のオジサンとゲイと留学生とバアチャンが、ひしめき合っている。バスカーと言われるストリート・ミュージシャンの音楽と、カモメの鳴き声がシンクロして町中に響く。肩の力が抜けていきます。
ではまたお会いしましょう。