第13話 リッチモンド:牡牛座の金星
牡牛座の支配星は金星。ギリシア神話の“美の女神アフロデイーテ”、ローマ神話ではビーナスです。一方、天秤座の支配星も金星。では天秤座を治めるアフロデイーテと、牡牛座の支配権を持つアフロデイーテは全く同じかと言いますと、私はその色合いが微妙に違うように思いますね。
音や言葉を媒介する風の星座、天秤座に対して、牡牛座は五感の感覚を表す地の星座。つまり大地の上に根を張る女神ということになります。おのずとアフロデイーテの関心事は、自然の恵みに守られた豊かな暮らしに振り向けられます。
ところで。ロンドン西南部の郊外にリッチモンド・パークで有名なリッチモンド(RICHMOND)という町があります。リッチモンド・パークの面積は約9,5キロ平方。全くの野生の公園で、数か所にゲートがありますが一つのゲートから次のゲートまで草原の中をダラダラ歩くと1時間以上はかかりますか。
イギリスに来て間もない頃、何も知らない私は、うかつにも正面ゲートから入り行けど進めど人にも建物にも遭遇しない。鹿の群れには何度か遭遇しましたが。
トイレに行きたしトイレはなし。我慢に我慢をして冷や汗が出てきた私は、ようやく向こうから歩いて来た女の人をつかまえて「最寄りのトイレはどこですか。」とたずねましたら、「こんな所にトイレがあるわけないじゃない。木の茂みでしなさい。」この時から、用を足す場所がなければ、草むらの中ですることを覚えました。
園内ところどころに立札があり「交尾期の鹿は凶暴になるので、近づかないように。」なんて書いてあります。先ほど「人にも建物にも遭遇しない。」と言いましたが、中央ゲートから入って南に歩くこと10分ばかりで、レストランやカフェ、庭園など人が集まるエリアがあります。
このレストランの周りに群がるリスは、野生の鹿とうって変わって愛くるしく、憎たらしいくらい人馴れしている。ベンチに腰かけてサンドイッチを食べていると、人の目の前までやって来て、両手を差し出して「おくれ、おくれ。」とあどけなくうるんだ瞳で小首をかしげる。その割には結構文句が多く、気にいらない食べ物だとポンと地面の上に投げ捨て「こんなもの食えるか。他のものよこせ。」と激しく首を振り、ジダンダ踏む。
その昔、デイズニー・アニメでリスのチップとデールを見て、まあなんとせわしなく動き回り漫画だからずいぶん誇張したもんだと思いましたが、そうではない。実際目が回るほど、気忙しくすばしっこく動き回るんですね。
このリッチモンド・パーク。国有ではなく、歴代英王室所有の王立公園、ロイヤル・パークです。ロンドンにはこういったロイヤル・パークがいくつかありますが、いずれも土地開発業者、ホテル業者が好き勝手に参入できない聖域。手つかずの自然が守られ、脈々と引き継がれる所以がうかがえます。
そしてこのリッチモンド・パークの中央ゲートの近く、うっそうとした樹に囲まれたホテルがあります。ピーターシャム(PETERSHAM)といいます。19世紀、ビクトリア朝に建てられたもので、小高い丘の上からテームズ川を見下ろし、そうそうたる趣。部屋数は60ばかりのこじんまりとしたホテルです。言わずもがな、プールやジムや室内の冷蔵庫はなく、昔の面影がしのばれる。古き良きものがそこにはある。そんなホテルです。
私など馬子にも衣裳でみっともなくめかしこんで緊張しながらアフタヌーン・テイーを頂いていると大雨が降ってくる。すると天井から水がポタポタ落ちてきて、従業員がバケツを持って走ってくる。「いかにせん維持費にお金がかかりますもんで。台所もあそこもここも雨漏りだらけで。」そんな所です。
ここの食事は食材もワインも吟味され良質の物だけがテーブルの上に出てきます。
日頃から贅沢は敵、財布の紐の固いクリスおじさん(夫)ですが、時々ふと思い出したように「ピーターシャムに行くか。」と言い出します。
そして部屋とレストランのテーブルを予約して、車にスーツ一式積み込んで出発。正装で身を固め夕刻、おもむろにレストランの席につく。ジックリとメニューに目を通して一番安いセット・メニューを頼む。それから食後にレミーマルタンを注文して、テームズ川の眺めに目を細めながら舌鼓を打つ。
「ここまで来ておいて、値段を気になさらずお好きな子牛の肉やラムを召し上がればよろしいのに。」と申しますと、「どんなにおいしくても、値段が高いと食欲が失せるのだ!」と怒ります。
ところで占星学の本で牡牛座のところをみますと「伝統を重んじ、安定して穏やかな気質の持ち主。半面、頑固で横槍が入るのを嫌い、所有欲が強くなりがち。スローテンポだが、確実にものごとを習得する。目まぐるしい環境は苦手で、知らないものに対しては用心深い。また美的センスと五感の感覚にすぐれるので、料理人や園芸家、画廊経営などの商業芸術に向く。」まあ、そんなことが書いてあります。
豊穣の大地の星座、牡牛座を治めるアフロデイーテの心の喜びは、四季うつろいゆく自然の情景と恵みに支えられてこそのもの。そして安全で安楽な暮らしも大きなポイントになります。
牡牛座の辞書に、インベーダーやUFOという言葉は存在しない。水瓶座の辞書には存在しますが。そして魚座のように「ユートピアはどこか遠くのあの世にある。」とも言いません。楽園は今生のこの大地の上にあるべきで、豊かな自然の恩恵で食べるにこと欠かず、暑さ寒さも無事しのぐことができて、常に見慣れたものが身の周りにあり、よくよく信頼のおける人間に囲まれて、ストーカーや泥棒は自分のテリトリーには侵入しない。以上のことが実現できて、牡牛座はその本領を発揮できるのですが、実際にはこのハイテク経済至上社会で無理難題というもの。
もう一つ、「保護されている安心感」も牡牛座にとっては不可欠な要素。子供の頃、親が亡くなった、親に暴力をふるわれた、又はかまってもらえなかった場合、牡牛座の心の傷は、他の星座よりも2倍3倍大きな痛手となるでしょう。
幼少期の人生に対する無条件の信頼がおびやかされて、自分が守られている実感が持てなくなった牡牛座は、ことさら所有物で自分の身を守ろうとします。そして車、家、肩書といった外側の持ち物と簡単に一体化してしまいます。例えば、維持費もないのに親から受け継いだ家を頑として手放さない。通帳残高が減ると自分の身がやせ細るような思いがする。そういう類のものです。
先ほどのリッチモンドの話に戻りますが、このテームズ川の絶景を眺めて暮らしたいのは誰しも願うところ。クリスおじさんに聞きますと、戦後間もないころまではここはのどかな村だった、と。裕福ではあったそうですが。歴代この地に住み、ここを故郷とするイギリス人もたくさんいた。
ところが1970年代以降、アラブやロシアの大金持ちが次々に流れ込んで、ここに家を買うたびに値段がつりあがり、今や一般市民とは無縁の町に。「もともとここに住む人達も相続税が払えず閉め出されてしまうのだ。」とまたまたクリスおじさんは激怒します。
このテームズ川のほのぼのした情景を、牡牛座のアフロデイーテからの贈り物と考えるならば、この土地を買いあさる人間のあくなき所有欲も牡牛座の副産物と考えられるでしょう。
そう言えば、リズ・グリーン(私が通っていたロンドンの心理占星学専門校、CPAの主宰者)が「牡牛座のテーマは、永遠に目減りしない心の中の真珠、宝物を見つけること。」と話してくれたのをなつかしく思い出します。確かに、現代の目まぐるしい社会は、牡牛座のみならず万人にとって決して居心地の良いものではありません。とりわけ子供の頃の傷が解消されない牡牛座の人にとっては、世の中ますますよりどころなく、頼るべきものは金品だけという気分にさせられるかもしれません。
牡牛座の人にとって大切なのは、自然とつながり、人と共有する喜びを味わうこと。喜びは与えると、こだまのように反響して2倍3倍に増えるんですね。そしてその喜びの中に自分の身の置き場を見つけること。家や通帳では安心は買えないものなんです。
亡くなった父が毎年、嬉しそうにバラの花やとうもろこしを育てていたことを思い出します。晩年は収入が減っていつも家を失う心配ばかりしていました。父は牡牛座でしたね。父をこのリッチモンドに連れてくることができれば、どんなに喜んだことと思います。
ではまたお会いしましょう。