第7話 クイーンズジュビリー:獅子座の太陽
イギリスは6月2日から5日まで、エリザベス女王即位60周年クイーンズ:ジュビリーを記念しての大式典。4連休でした。テームズ川パジェントで、(pageant : 戴冠式などの壮麗な行列の意味。)女王を乗せた船が川を下る様子は日本でも報道されたと聞いています。いやはや、この4日間は凄まじい熱気と興奮に包まれていました。イギリス全国を挙げて。
6月1日にアメリカでの占星学カンファレンスから帰って来たばかりのクリスおじさん(夫)と私はロンドンに近づくエネルギーはなし、情けない話ですが。しかしロンドンに行かずとも、ここブライトンでも街を挙げての野外コンサートや公園でのイベントが目白押し。スーパーはパーテイーフードの大売り出し大盛況。テレビは連日ぶっ通しで式典の実況中継。私としてはイベントに行きたし、テレビは見たし、ローストチキンやシャンペンの用意で台所からも離れがたく、右往左往の4日間でありました。
6月4日はジュビリーコンサートと銘打って、バッキンガム宮殿で野外コンサートが催されました。ロイヤル・ファミリーを初めとして、カンタベリー大司教からキャメロン首相、ロックバンド、元クイーンのブライアン・メイに至るまで、肩書、階層を超えて多彩な顔ぶれがロイヤル・ボックス席とゲスト席に並びます。宮殿に続く沿道はTVスクリーンがズラズラと設置され、通勤時の山手線さながらの波。出演者もロックにポップにクラシックと多様なジャンルで、司会はテレビでおなじみのコメデイアン。日頃と同じ口調でジョークを飛ばし、チャールズ皇太子にマイクを向けたりするところが「王室は遠い存在ではない。私達の身近にある。」という気にさせてくれます。
不思議なもので、私などはイギリス人ではない、あきらかに外人なわけですが、ひとたび永住権を得て今回のようなクイーンズ・ジュビリーに遭遇すると、「英国国家の一員として清く正しく生きよう。」と、あたかも生まれながらの母国であるかのような錯覚を起こしそうになるのです。この心境、きっと私だけではないと思います。
日頃からランチキ騒ぎはしたくない英国紳士のクリスおじさん。実況中継が始まる直前まで「コンサートなんて無意味な余興だ。」としきりに悪態つくのですが、コンサートも山場になりエリザベス女王がトーチに火を灯す瞬間の司会者のコメント。「この中には60年前の戴冠式もご覧になって、女王と共に人生歩んでこられた方も多いと思います。」この一言で、せきをきったようにテレビの前で大声あげて泣き崩れていました。
ところで目下イギリスの不況は深刻。増え続ける移民と失業者を抱え、私のようなイギリスでの就労経験ゼロの人間は言わずもがな。働き盛りの有能な40代の男性までもが職に就けず、「家でテレビ見てると、うつ病になるから。」とボランテイア活動に出るような次第。そんな中で即位60周年の式典は、雲間から陽光さんさんと差すような晴れやかなニュースでした。続くロンドン・オリンピックもありますが、エリザベス女王に対する思い入れは別格のものがあるような気がします。
長くなりましたが、「陽光さんさんと差す」ことから今回は、獅子座の支配星である太陽についてお話したいと思います。言うまでもなく太陽は、太陽系宇宙の中心で自ら光を放つ恒星です。占星学の観点から捉えると、ホロスコープの中でその人の母性を物語る月、知的欲求を表す水星など、様々な天体の音色をハーモナイズさせるオーケストラの総指揮者の役割を担います。つまり私達の「理想の自画像」を表します。
誰しも人格を練り上げていく時、まずは参考になる手本が必要。「子は親の背中を見て育つ。」との言葉通り、もっぱら子供の場合は親がその見本になるようです。中には「子供心に、うちの親のような人間にはなるまいと思った。」という人もいますが、それもありなのです。反面教師でも一つの参考例であることに変わりはないので。
子供だけとは限りません。大人になっても私達は手本になる人物を探し求めます。尊敬する恩師だったり、職場で憧れの上司だったり、その人のことがまぶしく見えます。そして「あの人のように生きたい。」と願います。このような心の働きを心理学では“投影”と言うそうです。つまり自分の内面の芽吹いていない種が成長した姿を、他人を写し鏡にして見るわけです。これ自体は成長促進剤の働きをするので有益無害だと私は考えます。
ただし。これが行き過ぎると問題です。自分の人生を生きることを100パーセントあきらめて、周りの人間に夢と理想を託すと、人は自分の期待には必ずしも応えてくれませんから失望と不満がつのるばかりで、だんだん不健全になってきます。
それからもう一つ。誰しも完璧な人間ではありません。叩けばホコリは出るもの。ところがこの「理想の自画像」をあまりに美化してガチガチの枠にはめますと、心の押入れに閉じ込められた影の人格がワルサを始めます。学校教師のセクハラなんていうのがよい例でしょう。本人が立派な人格者を演じ切ることもありますがこの場合、影の人格を演じてくれる人間を無意識の内に引き寄せると言われます。例えば清廉潔白な妻にアル中の夫といったパターンです。
ところで占星学の教科書で獅子座のところを見ると「太陽のように天真爛漫。親分肌でプライドが高くスター的存在。よって俳優や歌手に向く。」なんて書いてあります。実際には皆がみんな俳優ではないわけですが、「特別な存在」という感覚は獅子座の人にとって特に大事です、良い意味で。例えば絵を描くことにのめりこむ時、その絵はこの世にたった1枚のかけがえのないもの。それをクリエイトしている私はこの世に一人なんです。楽器演奏で気分が乗って酔いしれる時の高揚感も同じです。他人に評価されようがされまいが、行為そのものが内面の太陽の輝きを引き出してくれるのです。そしてその輝きをキープできるような生き方をしたいと願います。
しかし誰しもそんなにタフな人間ではない。「あなたにできるわけがない。」「愚にもつかないことに血道あげて。もっと現実的に将来のことを考えなさい。」勇気を出して行きたい道に進もうとしますと、たいていは非難の矢が飛んでくるのが現実です。そこで一度はへこんでも人生七転び八起き。理想の自画像には少しずつ自分で近づくべきです。ステージママで子供に願いを託すと子供が迷惑します。私たちが自分の太陽を照らそうとする時、「あの時あれができなかったから、それができなかったから。本当はこうしたかった。もうこの年で今さら遅い。」は禁句です。そして、バレリーナになれなかった、スチュワーデスになれなかった、と形にこだわるのではなく、自分の内面からワクワクトキメキ感を引き出す練習が大切です。
群衆がエリザベス女王の晴れやかな笑顔に熱狂するのも、そこに憧れとするものを見出すから、自分の中の輝きと希望に出会うからこそ、と私は考えます。
牡羊座、牡牛座、獅子座、星座毎それぞれに描くものは違いますが、太陽を生きることは一生をかけてのチャレンジの連続であり、孤高の旅なのです。
またお会いしましょうね。