第20話 英国紳士:山羊座の土星
イギリスは「紳士の国」と言いますが、具体的にどういう人を指して紳士(gentleman)と言うのか私達にはハッキリしません。なんとなく上品で垢抜けた初老の男性。仕立ての良いスーツを着て、お金にも困らず教養もある。公衆マナーもわきまえていて電車の中で我先に席をぶんどったりしない。せいぜいそんなところでしょうか。
私とてイギリスに住んで、何がわかると言ってわかるものではありません。そういう次第で今回はクリスおじさん(夫)に聞いた話を、私なりに噛み砕いてお伝えしたいと思います。
浅はかな私がクリスおじさんに「紳士の定義は?」と聞くとおじさんは絶句します。「紳士に定義や条件なんぞない。何故なら形で決まるものではないから。紳士とはその気高い精神(noble spirit)で表されるものだ。」と。紳士という言葉に込められる気高い精神を辿ると、中世騎士道から5世紀ごろのアーサー王物語までさかのぼる、と夫は申します。
騎士道精神(knighthood)、“アーサー王と円卓の騎士”のお話に見られる正義と美徳。おごらず高ぶらず、常に弱者を思いやる謙虚さですね。
忠誠心(loyalty)も大切な徳ですが、自分が属する組織や年上の者に従うこと、ではなく、真実や正義に対する畏敬の念です。それがたとえ目上の者にとって不都合なことであっても、ひいては自分の立場をあやうくすることであっても、己の良心に忠実な言動をとる勇気ですね。ですからこの忠誠心には正直さ(honesty)という意味も大きく含まれます。己の信条に対する正直さです。
そう言えば、デイケンズの‘おおいなる遺産“というお話がありましたね。19世紀、オーストラリアに島流しになった囚人が、その後オーストラリアで成功を収め、かつて自分が英国で逃走中に親切にしてくれた貧しい鍛冶屋の少年に匿名で学費を送る。この少年ピップは匿名出資者の願いを叶えるべく、ロンドンに上京して紳士になるための教育を受けるという、数奇な運命の物語です。
ピップはロンドンで教養、テーブルマナー、ダンス、社交といった修練を積むうちに、垢抜けて見栄えのする青年へと成長していきます。そしてある日、田舎から上京した自分の家族を無骨者で恥ずかしいとさえ思うようになります。
その後、様々なドンデン返しのあげく出資者の身元が明かされて、田舎に戻ったピップは「僕は紳士になるためにロンドンに行って、俗物になり果てた。」と自分に語りかけます。
そして自分の教育費を出資してくれた犯罪者の老人を忌み嫌わず、真摯な姿勢で最後まで助けるのですね。
「島流しの囚人の自分が、こんなに立派な本物の紳士を作ることができた。」と、老人はピップに向かって涙を流しながら、静かに息をひきとるという結末です。
19世紀貴族社会では紳士になるため、教養や社交といった様々な素養があったようですが、「どんなに家柄が良くても、金を積んでも、高学歴でも、一つだけどうにもならないものがある。それはその人が生まれ持った品性と人徳だ。」とクリスおじさんは言います。
で、貴族社会がすっかり崩れた今、この紳士の姿はイメージだけが残って実態は消えうせたかと言うと、そうでもないと私は思いますね。
一個人の例ではありますが、ロンドンに住む私の友人。両親は西インド諸島のセント・ルシアからの移民、ですから彼はロンドン生まれでイギリス国籍の黒人です。セント・ルシアは大英帝国の植民地であった小さな島国だそうですね。
彼は常日頃から「英国紳士はそういうことを言うものじゃない。」「英国紳士として当然のことをしたまでだ。」と、ことごとく言います。
ロンドン・オリンピックの時に「セント・ルシアとイギリスと、どっちを応援するの?」とバカなことを聞きましたら、キッパリと「ボクはイギリス生まれのイギリス人だから当然イギリスを応援する。」と答えが返ってきました。彼なりに英国紳士の精神を自分の心の軸にしようと、ひたむきに努力しているように見受けます。けなげな人です。
で、この「己の信条に対する正直さ」と「心の軸」ですね。今回は山羊座の支配星である土星、ギリシア神話のクロノスについて考えてみたいと思います。山羊座の土星に関しては、「第5話 貴族の館と階級社会」でも言い及びましたが、今回はさらに掘り下げてみましょう。
占星学の教科書を見ると、とかく土星は嫌われている、というのが私の印象です。その上、女性誌を見ますと「土星が射手座を運行する今後2年半は、射手座の人(生まれた時の太陽が射手座の空間にある、の意)にとって不運と試練の時です。」などと疫病神のように書かれているものが多く、土星ばかりが貧乏くじを引かされているように見受けます。
「これって、当たるのでしょうか?」という質問に対して。残念ながら確かに、自分の太陽星座に現在運行中の土星が留まると、孤独や束縛や損失を味わう人が多いようです。心のお天気模様として、ですね。
そこで「何故か?」という理由を考えてみましょう。ギリシア神話のクロノスは、父親ウラノスの性器をカマで切り取り天界から追放。自分が実権の座につきます。このエピソードには新旧せめぎ合いなど様々な意味合いが込められますが、ひとつ。カマを持った姿で描かれることから、「収穫の神」として崇められる一面があります。土星は別名「カルマの星」とも言われます。
人はまいた種と、その育て方に応じた収穫、つまり相応の結果を受け取る。これは宇宙の摂理とも言えるもので、ヒマワリの種をまいておいてバラの花が咲かないと怒るのはお門違いと言うものです。
で、この「種まき」ですね。自分が望む種をまいたつもり、でも実は自分が真に望むものではなく、親の期待や世間体のために種をまくことが往々にしてあります。そして土星がその人の太陽星座に巡ってきた時に、その勘違いの結果が明るみに出る。
例えば、うまくいくと思っていたのに離婚した、大病をして失職した、といったケースですね。これは感情的に傷つきます。金メッキの皮が剥がれて、自分の目標が無残に破られたような失望を味わいがちです。
しかしガッカリするには及びません。土星が求めるのは「人生の包装紙や御大層な箱」ではなく「中身の真髄」なんです。土星のメガネで見ると、人生の価値は学歴にも社会的地位にも貯蓄高にもなく、「己の信条に対する忠実さ」と「心の軸」にしかありません。
親や世間から「落ちこぼれ。できそこないだ。」と非難されることへの恐れ。これ、土星のアキレス腱ですね。なぜなら心の恐れが自分自身をがんじがらめにして、人生を監禁状態へと押しやるからです。人生の価値を他人の評価に預けてしまうと、外側から様々なプレッシャーを受けて不自由になる。土星が不運の星と敬遠されるゆえんです。
ですから失意の時こそ、土星からの大切な贈り物を受け取るチャンスと私は考えます。自分がまいた種の動機のついて深く考えてみる機会であり、人生の主導権を他人の目から自分の手に取り戻す時と言えるでしょう。
土星が太陽星座に巡ってくる時に、幸せな結婚をする人、仕事で活躍する人もいます。己の信条に忠実な真の願いは、刈り入れ時に実りを受け取るわけです。
クリスおじさんは「紳士たる者はその精神に表されるものだから、たとえボロ家に住んでツギハギだらけの服を着ていても、高潔な人格であれば真の英国紳士と言える。」と申します。
そしてその言葉通り、衿も袖口も擦り切れて、裏地もボロボロで、ファスナーもちぎれて、布全体が劣化して繕いようのないジャンパーを着て郵便局に出かけて行きます。
私はこれがイヤなんですの。新しいジャンパーを買って来ても袖を通しません。いつもこれが原因で大ゲンカになります。「このジャンパーが一番、着心地がいいのだ。人がどのように見ようと構わない。」とクリスおじさんはカンカンに怒ります。そして私のことを見栄坊だと申します。確かに。私はそこまで卓越した境地には到底及びません。知ったように書くものの、ただの俗物です。
山羊座の人にとってはとりわけ大きなテーマですが、万人にとって、土星を生きること、つまり人生の物差しを社会や他人の尺度から自分の内面に持って来る課題は、短い一生では学びきれないのかもしれません。土星には「老賢人」のイメージも託されます。経験で人生を導く賢者です。私の魂はまだまだ未熟なようです。
またお会いしましょう。
※注 画像は全てウイキペデイアから引用させて頂きました。