カイロンと海王星のサイクル:サン=テグジュぺリと星の王子さま
ギリシア神話のカイロンとポセイドン
もうかれこれ2008年のことになりますか。ロンドンCPA(ユング派の心理学者リズ・グリーンが主宰する心理占星学の専門校)在学中、リーン・ベルさん(Lynn Bell)の「カイロンと海王星」のセミナーで。いわく「カイロンと海王星のサイクル、この二つの天体がコンジャンクションまたはオポジションを形成する時は、まだ誰も見たことのないヒーリング・パラダイムが現れる。」と。
カイロン海王星と聞いて、ふと思い浮かぶのは「川面に映った一瞬の花火。」このイメージが私にとって何を意味するのか、お話に入る前に今一度、ギリシア神話のカイロンとポセイドン(海王星、ローマ神話ではネプチューン)について考えたいと思います。
「カイロンと1本足のすずの兵隊」でも書きましたが、神クロノスと、人間ピリュラーから生まれた半人半馬のカイロン。言い換えると人間でも神でもない。獣でも人間でもない。どこにも属さず、二つの領域を隔てる川辺に一人たたずむ姿が浮かばれます。
半人半馬の奇形ゆえに母に見捨てられたカイロン。この「見放された感覚」もカイロンに込められた象徴的な一面ですね。ですがこのカイロン、太陽の神アポロと月の女神アルテミスに教育を受け、弓矢、音楽、医療、自身教育者として様々な才能を発揮します。
さらにヘラクレスが誤って打った矢に当たり、優れた治療師だったのに自分の傷だけは治せず、ゼウスに冥界入りを乞うという悲劇。
リズ・グリーンが著書, Barriers and Boundariesでも書いていましたように、突然、降って湧いたような不運に見舞われ、人生から健全な何かが奪われる時、私達は壁に向かってわめき散らしたい怒りに襲われます。
カイロンは「癒しの星」ときれいなことを言いますが、まず、一生癒えることのない傷に対する猛烈な怒りを表すと私は考えます。そしてその怒りで人生をメチャクチャにしないための内的な知恵や芸術性。これがカイロンに託された「癒し」だと私は思うのです。
一方ポセイドン(海王星)はどうでしょう。海の神様ですから、境界線や理屈ケジメ、この世の定めは海の神には通用しません。ポセイドンは喜びも哀しみも、宝石もガラクタもミソもクソも合わせ呑んでしまいます。そして呑み込まれた全てのものは海の奥底深くに沈み、忘れ去られた記憶となり宝となり人類のサイキの底に眠ります。
20世紀と二つの大戦:サン=テグジュペリと「星の王子さま」
他の惑星同様、カイロンと海王星も黄道上を巡り続ける。但しカイロンの軌道は大きく楕円を描きイレギュラーです。海王星の公転周期は約184年。対してカイロンは約50年。カイロンは海王星より速く進みますから、海王星に追いつき追い越し、そしてこの二つの星は再び出会う(コンジャンクションする)わけです。
今回は20世紀初頭にさかのぼり、フランスの飛行家で、「星の王子さま」の作者、サン=テグジュペリの生涯について考えてみます。そしてカイロンと海王星の声がどのように作品に響いていたのか、思いを馳せましょう。
1900年、射手座のカイロンは、双子座の海王星とオポジションを形成。射手座にはカイロンだけでなく、天王星(天空の神ウラノス)、木星(全知全能の神ゼウス)もありました。双子座には海王星と並んで冥王星(冥界の神ハデス)が。
射手座が徳とするのは、己の心に忠実な信心と信条。宗教の星座と言いますが、宗教団体の権威に身を預けるという意味ではありません。そして逆境に光を見出す知恵。
一方、双子座のテーマは独自の考えを養うために、よく見聞き知ること。
つまり1900年は射手座の神殿で、カイロン、ウラノス、ゼウスが、世界の信条をくつがえすべく三者会談を開催。対して双子座の町内集会所では、ポセイドンとハデスがコミュニケーション手段の目覚ましい発展目指してミーテイングを開いていたわけです。
ほどなくロシアでは帝政が崩壊して、社会主義が誕生。さらに列車、飛行機、電話などの画期的な通信交通手段の発達にもかかわらず、20世紀前半は二つの大戦で真っ黒に塗りつぶされてしましいます。
サン=テグジュペリは1900年6月29日、世紀の変わり目にこの世に生を受けます。
ホロスコープを見ますと、蟹座の太陽は11室のカスプに。そしてカイロン海王星のオポジションはMCとICの縦軸に沿って起こっています。この人の魂は20世紀前半エポックの、サイキの底に沈む大衆の声なき声の代弁者として、深い海に飛び込む覚悟でこの世に降り立ったように思えるのです。
「星の王子さま」のお話。王子さまのふるさと、「やっと家ぐらいの大きさ」の星。この小さな星には、安全なシェルターのような心のふるさとをなつかしむ、サン=テグジュペリの蟹座太陽の人生観がうかがえますね。
そして王子さまは愛着あるふるさとの星に別れを告げ、旅に出ます。
六つの星を訪れいろんな人と会いますが、例えば第一の星の王様の言葉。
「道理の土台あっての権力じゃ。もし、おまえが人民たちに、海にいって飛びこめと命令したら、人民たちは、革命をおこすだろう。わしは、むりな命令はしないのだから、みんなはわしに服従する権利があるのじゃ。」
このくだりは公平で平等な社会を強く望み、社会貢献のために一役買って出たいという作者の11室の太陽の願いを思わせます。
最後に王子さまが訪れた七ばんめの星は地球。そこで1匹のキツネに出会います。
この作品のハイライト。キツネの言葉です。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことなんだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないっていうことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
サンテクジュペリの蟹座11室の太陽は、蠍座4室の土星とオポジション。土星はお手軽即席を嫌うので、手抜きして借り物の看板を掲げると遅かれ早かれボロが出る。このあたり不幸の星と敬遠される所以と私は考えます。そして土星が求める究極の人生の価値は富にも栄光にもなく、全てそぎ落とした後に残る一粒の砂金のようなもの。
このキツネの一言は、人生の真髄を求めるサン=テグジュペリの心の声に聞こえるのです。
王子さまが旅で出会う人物全てが、ホロスコープのそれぞれの神様(惑星)の言葉であるかのごとくに。太陽の神アポロから冥界の神ハデスに至るまで、それぞれの声が一つに溶け合って、この小さな真珠のような作品を成している。
もっともっと一つ一つの神様の声に耳を傾けたいところですが、カイロンと海王星にフォーカスすると、お話の最後、王子さまがこの世を去る前に残した言葉に注目。
「ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑っているように見えるだろう。すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ。」
「ぼく、もう死んだようになるけどね、それ、ほんとじゃないんだ。」
「ね、遠すぎるんだよ。ぼく、とてもこのからだ、持っていけないの。重すぎるんだもの。」
「でも、それ、そこらにほうりだされた古いぬけがらとおんなじなんだ。かなしかないよ、
古いぬけがらなんて、、、、、」
そして王子さまは静かに倒れます。
私には王子さまの最後の言葉がカイロンと海王星のデユエットのように聞こえるのです。
私の心に語りかけ、歌いかけ、メロデイーを奏でるのです。
ウイキペデイアによりますと、サン=テグジュペリがこの作品を書いたのは1942年。第二次世界大戦中です。彼のホロスコープの海王星に、トランジットの海王星が90度の角度を取ったネプチューン・ネプチューン・スクエアの時期でもありました。
この人は海王星の精妙な周波数にチューニングして、戦争で家族や祖国を失った人々の悲しみに声を与え、形を与え、この珠玉の作品として世に送り出したように思えるのです。
1944年7月31日、サン=テグジュペリはフランスの空港を飛び立って、コルシカ島上空で帰らぬ人となります。星の王子さまと同じように夜空に消えたのですね。
ちょうどトランジットのカイロンが、ホロスコープのアセンダントを通過した時でした。
そこで質問です。サン=テグジュペリは時代の集合的な苦しみから解放されたのか。サンテクジュペリと王子さまは、カイロンが表す境界線を越えて「あの世」に旅立ったのか。このできごとを偶然の一致と見るべきか。予言、それとも神の恩寵と見るべきか。私には答えは見つかりません。
一つ言えるのは、サン=テグジュペリは自分に与えられた天分、ホロスコープに込められた潜在的可能性を余すことなく表現してこの世を去ったということ。
1945年9月、長崎広島原爆投下と終戦の直後に、カイロンと海王星のコンジャンクションが天秤座で起こりました。人々は争いといがみ合いのない平和な世界のビジョンを「川面に映った花火」のように垣間見たのだろうか、と考えてしまいます。
この世に起こるありとあらゆる類の不慮の事故や不条理に対して、私達はパワーで戦いかえすことはできません。抱えきれない悲しみを静かに受け入れ、詩や歌に悲しみを託すことで情けや思いやり、人生への理解が深まり、そして時がたつにつれ新たな視点が誕生する、と信じたいものです。
そして今日
1990年、蟹座のカイロンと山羊座の海王星のオポジションが起こりました。これはベルリンの壁とソ連の崩壊後ですね。
そして2008年、水瓶座でカイロンと海王星のコンジャンクションが起こっています。
この年、アメリカではオバマが黒人初の大統領に就任しました。「世界の平等博愛」を表す水瓶座でヒーリング・パラダイムがシフトしたと言えるでしょうか。
その後、海王星は魚座へと進み、世界はますます混沌の海に投げ出されたような行き先の見えない、全てが不確かで保証がない不透明感に包まれているように感じます。
私達が移行期という名の川を渡りきろうとする時、カイロンが象徴する「癒えない傷と共に生きる知恵」と、海王星の「偉大で神聖なものに抱かれたい願い」が、「川面に映った花火や星」のような一瞬のビジョンとしなって心をよぎるのかもしれません。だけどこのビジョンを箱に入れて家に持って帰ることは誰にもできなませんね。しっかりと心に刻み、そのイメージに声を与え、形を与え、この世で表現する役割を一人一人が授かる。これがカイロンと海王星からの贈り物ではないかと、私は思います。
最後にもう一つ、サン=テグジュペリの言葉です。
もし誰かが何百万もの星のなかの
たったひとつの星にしかない
一本の花を愛していたなら、
そのたくさんの星をながめるだけで、
その人は幸せになれる。
★参考文献
●CPA Seminar “The Borderlands : Chiron and Neptune as our guide” Lynn Bell
●「星の王子さま」 サン=テクジュペリ作 内藤濯訳 岩波書店
●“Barriers and Boundaries” Liz Green著 CPA Press
なお、挿絵写真は全て ウイキぺデイアから引用させて頂きました。