心理占星学入門 第1章 アストロロジーの歴史
紀元前3000年頃、チグリス川、ユーフラテス川に囲まれた「肥沃の三日月地帯」(現イラク)に、シュメール人が侵入して青銅器文明が生まれますが、その後北からやってきたセム系の民族に征服されます。
さらに紀元前2000年頃、セム系の民族がバビロンに古バビロン王朝を開き、メソポタミア全域を支配します。
この古代バビロニアではすでに、大規模な天体観測が行われ、天の星と神々を結びつけ、日食月食など天の兆しが、地上の出来事の引き金になると考えられていたようです。
続く紀元前332年、アレクサンダー大王がエジプトを占領して、ギリシアを支配下に。
ヘレニズム文化が栄える中で、生まれた時の天体の配置図から、個人の天体の配置図をトレースして、人生行路を探るといった、本格的なアストロロジーが誕生。
西暦312年、コンスタンテイヌス大帝がキリスト教に改宗して、ローマ帝国はキリスト教化。ここでアストロロジーに対する反感攻撃が始まったそうです。
しかし11世紀から13世紀、ヨーロッパの学者によって、アラビア語ギリシア語の占星学、天文学、哲学、医学書がラテン語訳され、アストロロジーは学問としての地位を取り戻します。
14世紀にイタリアで始まったルネッサンスの幕開け。 ルネッサンス(renaissanse)は、英語でrebirth。 再び生まれる、再誕生の意。それまでもっぱら教会のご用達だった絵画芸術ですが、個人の意思に基づいて自由闊達に、ギリシアローマ神話の神様を人間らしく描いていいじゃないか、ということで、ボッテイチェリを初めとして、活き活きした芸術が花開きます。
「歴史上、個人という概念が初めて生まれた時」と、ロンドンの占星学専門校に通っていた頃の先生の話。そしてこの時代は精神と物質の融合が自然になされ、科学と芸術はかけ離れたものという見方はしなかったそうです。
そして17世紀後半から「啓蒙主義」の時代に入ります。これは聖書神学といった従来の権威を離れ、理性的に世界を解明しようという思想運動で、この時代に印刷技術も発展したそうですね。
この時にアストロロジーは、「理性的な世界の解明」のスローガンの枠には収まらず、「迷信だ。非論理的だ。」と世間から反撃を受けて、衰退期に入ります。
続く18世紀の第一次産業革命、19世紀の第二次産業革命で、人間は科学テクノロジーとお金に大きく傾倒して、魂が置き去りにされた世界になってしまったように感じます。そしてアストロロジーの不遇時代も長く続きます。
ここでアストロロジーの歴史を語る上で、要となる人物を何人か挙げてみましょう。
まずジョン・デイー。(John Dee、1527-1608)
この人は天文学者、数学者、オカルテイストであり航海術にもたけていて、アストロロジャーとして英エリザベス1世の顧問となり、活躍したそうです。
ロンドンのアストロロジー専門校に通っていた頃、先生が「物質と精神が結婚していた最後の時代」と話してくれたことを思い出します。
続いて17世紀に移ります。ウイリアム・リリー。(William Lilly、1602-1681)
貧しい小作農の家に生まれ、聖職者を目指して神学を学んだそうですが、費用がなく断念。ロンドンに出て塩商人、ライト氏の秘書をして働き始めます。なんでもライト氏の奥さんが熱心なアストロロジー支持者で、彼女からアストロロジーのイロハを学んだという話。ライト氏の死後、会社を引き継ぎ経済的にも余裕ができて、本格的にアストロロジー、さらに医学も学びます。
1647年、45才の時に”クリスチャン・アストロロジー“(Christian Astrology)を出版。今でもアストロロジーの大全集として読み継がれています。「近代アストロロジーの父」
“The father of modern astrology” と言われる人で、ちなみに1666年のロンドンの大火を予言したことも有名なエピソード。
そして「アストロロジーとキリスト教の調和」を訴えますが、先ほどもお話しました啓蒙主義が目指す知性の枠組みに、アストロロジーは組み込まれず、1680年オックスフォード大学は、アストロロジー講義を廃止します。
面白いものですね。現代社会の主流からは離れて、肩身の狭いアストロロジャー。世が世ならオックスフォードやケンブリッジの教授として、世間の尊敬を集める地位に就いていたわけです。思うに世の権威なんてアテにならないもの。時が移ればトレンドも簡単に移り行くものです。
話を歴史に戻します。19世紀に入りアラン・レオ(Alan Leo, 1860-1917)の登場。
ロンドンの貧しい母子家庭で育ち、独学でアストロロジーを学んだそうです。そして当時マダム・ブラヴァツキーが主宰していた神智学協会に入会。ブラヴァツキーが提唱した「七つのチャクラ」に七つの天体を対応させて、独自のアストロロジーを構築。
アストロロジーは未来予言ではなく、秘教的な哲学。宇宙は有機的な生きもので、天体と人間は互いに共鳴し合う。宇宙の法則に従って人は地球で転生を繰り返す、と独自の宇宙観を展開。
そして1915年に “アストロロジカル・ロッジ・オブ・ロンドン”(The Astrological Lodge of London)を設立します。
ただこの時代のイギリスはまだ魔女禁止法が施行されていて、1917年、アラン・レオは告発されて高額罰金に処せられたそうです。
ちなみにこのアストロロジカル・ロッジ・オブ・ロンドン。100年を経た今も引き継がれ、
現在も様々なセミナーやイベントが催されています。
このアラン・レオや、マダム・ブラヴァツキーの貢献ゆえに、19世紀末からアストロロジーは息を吹き返すと言われますが、実は私はこの説には少々不服です。
確かにアストロロジーという言葉は浸透したものの、たいていはフォーチュン・テリング(占い)と混同されていて、女性誌の恋占い、パーテイーの余興、その程度の登場の仕方で、およそ見識ある人からは相手にされていないからです。
それからもう一つ。日本にはキリスト教の倫理観が浸透していないので、アストロロジーに対して、うさんくさいとは思っても罪悪視されることはありません。が、イギリスをはじめキリスト教社会のヨーロッパ諸国では「困った時に教会に行かず、アストロロジャーの所に行くのは神への冒涜」という無言の後ろめたさがついて回るように思います。
現在イギリスではアストロロジーを教える大学もありますが、「アストロロジー」と胸を張って名乗ることは、はばかられる様子。これはあくまで私個人の主観です。
余談はさておいて、さらに20世紀に話を進めましょう。
精神科医であり心理学者のユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)が、カウンセリングの際にホロスコープ(その人が生れた瞬間の天体の配置図)を使ったことから、サイコロジカル・アストロロジー(psychological astrology, 心理占星学)という新たな潮流が生れます。
出来事の吉凶判断ではなく、出来事の背景に潜む精神的な意義、意識の奥底からの呼びかけ、そして自分が気づかずにいる過去から繰り返すパターンに光を当てることで、過去の出来事を納得理解して、より自分らしい未来をクリエイトしようという姿勢に基づくもの、と私は捉えています。
この「心理占星学入門」では、サイコロジカル・アストロロジーの流れに沿って、段階を追ってホロスコープを読み解いていきます。
次回は太陽系宇宙の仕組みについて、お話しましょう。
※画像は全てウイキぺデイアから引用させていただきました。
※参考文献 “世界史物語” 西村貞二著 講談社
※上記、ウイリアム・リリーの「クリスチャン・アストロロジー」は、田中要一郎氏の翻訳により太玄社から日本語版が出版されています。関心のある方はぜひご一読ください。