占星学 ユキコ・ハーウッド[Yukiko Harwood] 星の架け橋

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蠍座の土星:キリストの荒野の誘惑

 今回は土星のお話です。土星が、太陽の周りの黄道12星座を一巡りする公転周期は約29年半。このため人生の節目を表すのに適切な星と考えられています。
 その一方、占星学では「不運、拘束、孤独、貧乏の星」いわゆる凶星として敬遠されているのも事実。土星は各星座に2年半ほど留まるわけですが、例えば雑誌の星占いなど見ますと、土星がその人の太陽星座(星占いで言うところの「あなたの星座」)に巡ってくると、「今後2年半は試練の時。金運にも恵まれず、ウンヌンカンヌン。」ガッカリするようなことが書かれていますが、さて。これではただでさえ不安な世相に、さらなる不安材料を増やすだけ。

 この土星ですが、2012年10月に蠍座の空間に入り、2014年12月まで蠍座を運行します。正確には、2015年6月から9月まで一時、蠍座へと逆行の動きを見せ、2015年9月中旬に、完全に射手座の空間へと移っていきます。
 この蠍座に留まる土星が私達に何を問いかけてくるのか、それに対してどのように応えるべきか、今回は神話のお話をもとに掘り下げて考えてみたいと思います。

カマを持つクロノス

カマを持つクロノス

 土星に相当する、ギリシア神話のクロノスは“大地の神ガイア”と、その息子“天空の神ウラノス”から生まれたテイターン神族の一人。ウラノスは、夜な夜な母の寝床に忍びこんで次々子供を作りますが、生まれてくる子供達の怪物じみた姿に腹を立てて、我が子をタルタロスに幽閉してしまいます。
 悲しんだ母ガイアは末息子のクロノスと共謀して、打倒ウラノスをくわだてます。そしてウラノスの寝床に忍び込んだクロノスは、草刈り用のカマでウラノスの性器を切り取り去勢。父であるウラノスを天界から追放してしまいます。

「サターン」 ルーベンス画

「サターン」 ルーベンス画

 そしてクロノスはレアと結婚しますが、今度は自分が我が子に実権の座を奪われることを恐れ、生まれてきた子供を次々に飲み込んでしまします。これを悲しんだ妻のレアは、末息子のゼウスが生れた時、「これがゼウスよ。」と偽って、布で包んだ石をクロノスに手渡します。それとは知らず石を飲み込むクロノス。一方、ゼウスは無事にスクスクと育ちます。因果応報と言いますが、成人したゼウスは、父クロノスに飲み込んだ子供たち、つまり自分の兄弟を吐き出させ、兄弟力合わせクロノスを倒した、というギリシア神話のエピソード。

 こういったことから、土星は「権威、保守、伝統」を表すと言われます。そしてこのクロノス(Cronus)、草刈り用のカマを持って描かれることから、占星学では「収穫、カルマ(ものごとの結果)の星として解釈されます。
 また、ギリシアでは時を神格化したものをクロノス(Chronos)ということから、占星学では「時の神」としても解釈されています。

 桃栗三年柿八年と言いますように、私達はまいた種と育て方に応じた結果を、しかるべき時にしかるべき形で受け取るわけです。柿が1年で育ったり、桃が栗に化けたりはしないのです。さて、「収穫の星」であるはずの土星が、何故「試練不運の星」と言われるのでしょうか。ここが“くせもん”なんですけどね。私達はみんな努力する。よくなろうとして、立派になろうとして。ところがその目標設定に問題があるわけです。

 目標が真の自分の心の底から湧き出た望みであるのか。それとも親や世の権威ある人達に教え込まれた借り物か。将来の不安ゆえのものか。見栄対面か。痛いところですが、そのあたり正直に考えてみる必要があります。
人が死ぬとき、棺桶の中に持っていけるものを考えてみるとよくわかります。

“Nothing matters very much and in the end, nothing matters at all.” 
(「たいしたことない、何事も。そして全てどうってことない、最後には。」) と言い残して、亡くなったイギリスの首相がいるそうですが、まさに土星の名言。人が最終的に残せるものは世間でいうところの栄華ではなく、内面の充実感と誇りだけ、なんですね。

 このところが理解できないと、土星は外からの権威として自分を縛ってきます。「ああしろ、こうしろ。」と、やたら要求してくる上司だったり。「お前はダメなやつだ。」と、口やかましくののしる親だったり。
 つまり期待した成果が得られない「不運の時期」とは、軌道修正のため、人生の権威を自分に取り戻すための、天体からの呼びかけの時と言えるでしょう。

 話は蠍座に移ります。12星座は黄道を12等分した空間ですが、図をご覧いただきますと、蠍座は第2グループ最後の星座であることがわかります。

 第1グループ牡羊、牡牛、双子、蟹座のテーマは「私個人の成長」。第2グループ獅子、乙女、天秤、蠍座のテーマは「まわりの人間との関わり」。そして最後の第3グループ射手、山羊、水瓶、魚座では「人類の発展への貢献」とテーマが移っていきます。

 ちなみに第3グループの最初の星座である射手座のキーワードは「学問、旅、外国、哲学、宗教」射手座の支配星は全知全能の神ゼウス。世界観が広がり、魂が高揚していくステージを表します。
 にもかかわらず、その手前の蠍座の支配星は、冥界の神ハデス。蠍座が表す場所は、例えば「砂漠、洞窟、ジメジメした沼地、人が目をそむける地下の闇の世界、社会の裏街道」。
さらに言いますと、蠍座の手前の天秤座の支配星は、美と愛情の女神アフロデイーテ。
キーワードは「友好、平和、社交」などなどなど。

さて、これを一体どう解釈すればよいのでしょうか。私自身、この蠍座の空間は、人と共有した体験を、生きた知恵に変換するための関所のような空間と考えます。
「蠍座の土星」と聞いて、ハタと思い浮かぶイメージは聖書の中の「キリストの荒野の誘惑」のお話。聖書のマルコ、マタイ、ルカによる福音書に書かれています。

「キリストの荒野の誘惑」作者不明

「キリストの荒野の誘惑」作者不明

 クリスチャンでない私は、子供の頃に教会に通った記憶の糸をたぐり寄せながら、ウイキぺデイアに頼るという情けない次第ですが、かいつまんで言いますと、イエス・キリストが40日間、荒野で悪魔の誘惑を受けるというお話です。悪魔は、あの手この手でキリストをそそのかします。「神の子であるなら、石をパンに変えてみろ。」とか「私にひざまずけば、世界中の国の権威をあげる。」とか、いろいろ挑発してくるわけです。もちろんキリストはこれにはのらず、40日の試練を終えて無事にガリラヤに帰ってきますが、このような体験は、私達の人生にも往々にして起こりがち。
 たとえ名声、富、並外れた天分に縁のない一般人でも怒り、不安、嫉妬といった負の感情をかきたてられる出来事は起こるもの。えてして変化球でやってくることが多いと思います。ちょっとした優越感をくすぐられるとか。正義という名目のもとに憎しみ爆発とか。たとえ小さな出来事でも、それが引き金になり子供時代の未解決の問題が浮上してくることもあるでしょう。

 今後2年半は社会的にも個人的にもさまざまなレベルで、以上のようなことが起りやすいと私は思います。しゃにむに頑張らず、おごらず、高ぶらず、パニックや絶望や怒りに捕らわれない。醒めた目で、起こっている出来事を注意深く見ていく必要があるでしょう。いわば試金石のような時期です。2013年、14年をどのような心持で暮らすかで、その後の人生の展開が変わってくると思います。

 それではまたお会いしましょう。

2012年9月28日から12月7日に渡り、6回シリーズで行われたオンラインセミナーで、この「蠍座の土星」について詳しく取り上げられています。
興味のある方はぜひ2013年の再放送で聴講なさってください。

お申込み明細は「心理占星術研究会」kyokoさんまで。
http://astro-psycho.jugem.jp/

「第三の眼」からもお申込み頂けます。
http://www.daisannome.biz/