占星学 ユキコ・ハーウッド[Yukiko Harwood] 星の架け橋

占星学 ユキコ・ハーウッド オフィシャルWebサイト 星の架け橋

ARTICLES 占星学入門

魚座の海王星:魚座を運行する海王星

 海王星の公転周期は約165年。つまり165年かけて黄道12宮をゆっくり一巡りするわけです。この海王星ですが2011年に魚座の空間に入り、2025年まで魚座に留まります。「芸術と霊感」を司ると言われる海王星。一方では、イリュージョンと幻滅の星として敬遠する人も。

 魚座の支配星はギリシア神話の海の神ポセイドン。海の底を想像してみましょう。スキューバ・ダイビングの経験のない私ですが、理屈や理論でのコミュニケーションが成り立たない領域であることは察しがつきます。言葉で伝えることができない世界は人間にとって、まさに脅威。

 とりわけ思考の発達を司る水星(マーキュリー)にとって、海は非常に居心地の悪い場所。「自我」を表す太陽にとっても、ご都合のよろしくないところ。しかしながら「自我」には限界があります。自分の経験に基づいた人生観を超えられないわけですから。そういう点では自分の小さな自我を手放し、宇宙の神なるものに身をゆだねる。これは海王星の学びと言えるかもしれません。
 思うに海王星という星は、海水の如く心の奥底にヒタヒタと流れ込んできて、凝り固まった枠組み、当たり前という概念をいつの間にか侵食してしまう。そんな働きがありますね。海の神様は強硬に仕切りを叩き壊したりはしませんから。

 私自身、星と人間の存在は互いに干渉しあう、そしてこの海王星と人間のサイキの共鳴は、きわめて精妙なものと考えます。ハッキリと目に見えた形では表れにくい。だけど私達が無意識の内に海王星の波長にチュー二ングする時、いわれのない不安感に呑み込まれたりする。または霊的なビジョンに目覚めることもあると思いますね。ここが海王星は「芸術と霊感の星」と言われる所以でしょう。

 というわけで、今回は「魚座の海王星」と、魚座の対角の星座である「乙女座の海王星」について、その対極性を考えてみたいと思います。ちなみに乙女座の支配星はギリシア神話のヘルメス(ローマ神話ではマーキュリー)です。

乙女座の海王星:ルネ・マグリットとシュールレアリズム

 魚座の海王星と聞くと、なぜか私はルネ・マグリットを思い浮かべるのです。20世紀を代表するシュールレアリズムの画家ですね。絵画の「か」の字も知らない20才の頃からこの人の絵には、うんと憧れました。

 ものの本によりますと、シュールレアリズムがパリで発足したのは1924年。そして全盛を誇ったのは、海王星が乙女座を運行した1928年から1942年にかけて。
 当時マグリットをはじめ、ダリやエルンストといった画家は深層意識やアートに潜む、不条理なもの、理屈では説明がつかないものを探求した、と。そしてスピリチュアリズム、フロイドの精神分析や自動書記に傾倒していったそうですね。つまり無意識の奥底から湧き上がるものを、理性で能書きつけずにダイレクトに表現した。無意識層とはアートの源である霊感の宝庫とみなしたようです。さらに絵画の技法に妨げられず、無意識の宝庫のカギを開けるべく様々な方法を試みたそうですね。夢の世界も探求したそうです。夢というのはツジツマが合わないくせに、なんとも生々しくてリアルなもの。
 と、ここまで聞くと、「乙女座の海王星
と「魚座の海王星」は対極にも関わらず、とてもよく似ているように思えるのです、その働きかたが。

 マグリットの誕生日は、1898年11月21日でベルギー生まれ。ホロスコープを見ますと、カイロン、天王星、土星が射手座で1室にありますね。その対角には海王星と冥王星が並んで双子座、7室にあります。この外惑星のオポジション、19世紀から20世紀への変わり目の際立った特徴ですね。
 太陽は蠍座ですが、射手座のカイロン、天王星とコンジャンクション。金星、水星も射手座にあり、双子座の海王星、冥王星とオポジション。そして月は魚座で3室にあります。
 火の星座、射手座に5つも天体があるわけですから、火が表す「世俗を超えた霊的な人生の意義をつかむこと。」が、このホロスコープの大きなテーマになるでしょう。

ルネ・マグリットのホロスコープ

ルネ・マグリットのホロスコープ

 一方、月。これも大事ですね。水の星座のシングルトン。そして1室のほぼすべての星とスクエアの配置を取っています。およそマグリットの月は、「水の世界」が表す全てのもの。子供時代の忘れ去られた記憶、家系や民族に脈々と引き継がれた思いやノスタルジー、
苦しみから解放されたいという全人類の願い、そんなものを一手に背負うと言えるでしょう。この人の魂は、二つの世界大戦で真っ黒に塗りつぶされる、20世紀前半のこの世を駆け抜ける覚悟で生まれおちたように私には思えるのです。

 1934年、トランジットの海王星(乙女座)は、マグリットのホロスコープの月(魚座)とオポジションを形成。この年、彼は“コレクテイブ・インベンション”という作品を発表します。これ、半漁人の絵ですね。一見グロテスクとも言えるこの作品、一体どのように受け止めればよいのか。

 人魚と言うと思い浮かぶのは、童話やデイズニー・アニメでおなじみの美しい声で歌う人魚の姫。人魚姫は話しますね。ハートもある。つまり自分の思いのたけを歌に込めて人に伝えることができる。豊かな感情も知性もありながら悲しいかな、この世では社会の一員にはなれない。アウトサイダーの存在です。

 一方、マグリットの半身半漁は話すことも歌うこともできない。頭が魚ですから。およそ人間の持つ機能は停止状態。波打ち際で成すすべもなく、足を投げ出して横たわるだけ。美術書をひも解きますと、「マグリットはどこか遠くの世界に私達をいざなおうとしたのではない。むしろ私達の心に潜む、ツジツマの合わない不条理な領域に光を当てようとした。」とあります。

“コレクテイブ・インベンション” マグリット画 1934年作

“コレクテイブ・インベンション” マグリット画 1934年作

 乙女座のシンボル・マークは若い女性。人生を実りあるものに導く、乙女の純粋な考え、勤勉さ、けじめを表します。一方、魚座は海原で泳ぐ2匹の魚。地上の人間が常に境界線や限界を敷こうとするのに対し、海は全てのものを分け隔てなく呑み込んでしまいます。

 1929年のニューヨーク株式市場の暴落に始まり、1930年代は不穏な世界恐慌の時代。アメリカからヨーロッパへと飛び火する経済危機を引き金に、ファシズムが台頭。そして世界は第二次大戦へと突入していったわけです。当時の人達はささやかながらに安定した日常生活が足場をさらわれる、そんな予感に恐れおののいていたのでは、と私なりに想像してみます。つまり言い換えると、乙女座の日常のルーテイーンを守ろうというけなげでかたくなな世界観が、海の水にヒタヒタと侵食されていったと思うのです。

 このように考えると、マグリットは当時の世界に蔓延した恐怖感や混沌とした不安感にチューニングして、絵画を通して海王星のバイブレーションを表現したのでは、そして私達の凝り固まった価値観を少しずつ溶かしていったのでは、とも思うのです。
 マグリットが描く、空に浮かぶ巨大な石。背中に翼の生えた男性。夜空の下、こうこうと太陽の光に満ちた町並み。こういった作品には、ありえない現実を眺めることで、悪あがきや葛藤を鎮めようとする、妙な鎮静効果があるように思いますね。

魚座の海王星:幕末の浮世絵師、歌川国芳

 さて。さらに時代をさかのぼり、前回、海王星が魚座を運行した19世紀半ば(1847-1861)に目を向けてみましょう。
 2009年のことになりますか。ある朝、ロンドン地下鉄の駅で私の目は1枚のポスターに釘付け。真っ赤な顔の金太郎さんが鯉と格闘しているこの絵、「坂田怪童丸」。これが国芳との最初の出会いです。

“坂田怪童丸” 歌川国芳画

“坂田怪童丸” 歌川国芳画

 国芳は1798年1月1日(出生時刻不明、ホロスコープは正午で作成)、江戸の染物屋の息子として誕生。ホロスコープを見ますと、山羊座の太陽が蟹座の土星とオポジション。さらに乙女座の天王星とトライン。蠍座の海王星とセクスタイル。つけて加えて、水瓶座で金星と冥王星がコンジャンクション。太陽と内惑星が、多くの外惑星とアスペクトを持つことから、まさに「時代の代弁者」として生まれついた人と言えるでしょう。
 実際、国芳は当時の美人画、風景画に留まらず、数多くの海の怪物、難破船、骸骨や幽霊を描き出しています。

歌川国芳のホロスコープ

歌川国芳のホロスコープ

 19世紀半ばと言いますと、日本は開国を目前にした幕末動乱期。幕府は当時「蘭学」と呼ばれた西洋医学研究の禁止、文学などの検閲の強化をはかり、かたくなに鎖国を守ろうとします。
 国芳は独特のユーモアのセンスと、風刺に満ちた醒めた目で、幕末武家者社会の動乱を眺めたようです。1841年、幕府が役者やお公家さんの姿を浮世絵で描くとこを禁じた時、国芳は亀や猫の顔を歌舞伎役者に似せて描き、スラスラと検閲の目を逃れている。面白いですね。

 とりわけ天王星と冥王星が牡羊座入りした1840年代。国芳は来たる動乱を予知するかの如く、悲壮感に満ち満ちたダイナミックな武者姿を数多く描きます。
 そして海王星が魚座に入った1950年代初期。魚座の海王星を物語るべく、海の鮫、幽霊、妖怪のようなワニや蛸と戦う侍の姿を数々生み出します。この中から「魚座の海王星」を象徴する1枚を選ぶのは至難の技。ですが、今回はあえて「天狗に救われる源為朝」に注目してみましょう。

 ウイキぺデイアによりますと、源為朝(1139-70)は弓矢の術に優れた平安時代の武将。1156年の内乱で崇徳上皇について奮戦しますが敗れて、伊豆大島に流され、最後には自害を遂げます。
 この作品の中では為朝、京都へ向かう船旅の途中、大しけに見舞われ船は難破寸前。妻のしらぬい姫が人身御供で海に身を投げ、海の神様の怒りを鎮めようとしますが、嵐はやまず。万事休すというところで、崇徳上皇が送り込んだ天狗の精霊が現れ、為朝は救われるというお話です。

 魚座の海の底には真珠のように高貴な宝だけではなく、グロテスクな化け物や妖怪も潜んでいる。「魚座の海王星」と共鳴して、私達が「混沌とした海」に投げ込まれた時、心は恐怖、混乱、絶望に呑み込まれがち。魚座はキリストに象徴される「魂の救済の星座
とも言われますが、その救いがいつどのように起こるのか私には知る由もなし。起こる時には起こるとしか言いようがありません。
 日本にいた頃、占星学と瞑想を教えて頂いた故山田孝男先生が「大変だ、なんとかしなくちゃ。こうしなければ、ああしなければ、と必死で思うでしょ。そういう思いを全て手放した時に救われる。お任せですよ。でもパラドックスでね、救われることを期待して手放すと、本当に手放したことにはりませんからね。」と話してくれたことを思い出します。

“天狗に救われる源為朝” 歌川国芳画 1851年作

“天狗に救われる源為朝” 歌川国芳画 1851年作

 「天狗に救われる源の為朝」は1851年に制作されます。その2年後、ペリーが黒船に乗って江戸湾に来航。幕府は混乱状態に陥りますが、結局1854年、「神奈川条約」に調印。250年余り続いた鎖国にピリオドを打ち、開国の道を歩み始めます。
 葛藤と波乱に満ちた行きつ戻りつのプロセス。最終的にはこれまでのポリシーを手放し、
未知の領域へと神の意思に身をゆだねることになります。
 国芳は当時の人々の不安にあおられた声なき声に波長を合わせ、さらに神の声に耳を傾け見事、一連の作品にして世に送り出したように思いますね。

乙女座と魚座:対角の星座

 私自身、太陽が乙女座にありますので、乙女座と魚座の対極性は常々、興味のあるところ。実際、対角の星座同士は1枚のコインの裏表。互いに全く正反対の顔を見せながら、実は同じテーマに取り組む、と言われます。

 12星座の前半6星座のテーマは「私個人の成長」に関わること。後半6つは「世界との関わり」へとテーマが移ります。で、乙女座は前半6星座の最後の星座。世の中で役立つ何者かになるため、個人の技能習得仕上げ段階。玉も磨かねば光らぬ。ところがこういった勤勉さですね。クリエイテイブなビジョンが欠けると、型にはまって金太郎飴になる難点も。

 一方、魚座は大海原ですから、宝石、金銀財宝に白骨死体やグロテスクな深海魚、ミソもクソも一緒に眠っている忘れ去られた集合無意識の底を物語るとも言えるでしょう。
つまり世界の霊的な宝が眠る巨大な「博物館」、と同時に人類のいまわしい過去の「幽霊屋敷」でもあると思うのです。

 世界が音を立てて変わりつつある時、人生での限られた体験と個人の知恵に頼って先を見通すことは不可能。予想のつかないことに準備はできないものです。社会は理路整然と秩序を保とうとしますが、宇宙は理不尽も不都合も全て受け入れてしまうのです。

 海王星が魚座の空間を巡る時に、人生の道を見出そうとするならば、自分の判断力に基づいた将来設計なんて用をなさないと思いますね。神の計らいは人智を超えたもので、ましてや神は一個人のお抱え運転手ではない。私達は「ヤレ、あそこに行け。ここに行け。」と宇宙の神なるものに指図はできません。しかし「自我」は混沌を目の当たりにすると足がすくみ、大海原を渡る術などとうてい思いもつかないもの。
 どんなにお先真っ暗でも宇宙の神なる存在の計らいを身をゆだね、期待と恐怖に捉われず、心の奥底の濁りなく澄み切った領域に焦点を当てることが「魚座の海王星」の学びのテーマだと思います。

最後にルネ・マグリットの言葉。
「私は夜空の下、さんさんと太陽の光り輝く大地を思い浮かべることができる。神のみが絵画という霊媒を通して、その意思を人に伝えることができる。」

●英国占星学協会会報“The Astrological Journal” 2010年 9月号より
“Neptune in Pisces”翻訳転載

●参考文献
1、“isms”  Stephen Little著 Herbert Press 出版
2、”KUNIYOSHI” Timothy Clark 著 Royal Academy of Arts 出版